理想的な家族像
あんなイケメンパパにこんなこと言われたらそりゃ好きになりますわ
ここアーカードはかなりかっこよかったです。
スペーディア家編成は圧巻の一言ですね。
感想
理想的すぎる親ですよね。
我が子だから守る。当たり前のことですが、難しいと思います。親になったことないのですが。
話によれば
夜泣きが辛いそうです。
あとは何でも口に含んでしまったり、泣き止まなかったり等々。
それに耐えきれずにかっとなって手を上げてしまう。
しまいには殺してしまったりと・・・世の中うまくいかず悲しい事ばかりおこります。
ゲームと現実は混同するなと言われそうですが、スペーディア家は4大魔族の1角の立ち位置として、力はもちろんですが、権力、財力とも潤沢。現実で言うところの裕福層。子育て以外のことに対しては余裕でいられるからこそ、子供を守ることに力を入れることができる。当たり前だ!ということができます。
現実に戻りまして。
養育費等でお金がかかる。
そうすると今まで使っていた分を子供のために我慢しなくてはいけない時が来ると思います。自分の今の給料だったら確実にそうなります。
自分は我慢しているのになぜこの子は我慢できないんだ!
そんな感情が芽生えてもおかしくないです。
何事にも余裕というのは大事です。余裕を持って行動する。余裕をもった予定を立てる。その余裕がなくなった途端、ほんと自己中心的になります。
間に合うために信号を無視する。
締まる電車のドアに突っ込む。
夜遅くまで残業する。
そして他人に迷惑をかける。
少し話が逸れましたが、そういった意味ではスペーディア家はかなり準備をしていたし、ローザリンデ、アーカード共に平和を望んで、実際に平和になった時にフランシール。かなりの準備、情報収集をしてリリアンヌを生んだので全部を通して理想像と言えるのではでいでしょうか。
さらに言えば、備えていたからこそリリアンヌが生まれた時の予想外にも対応しきれたところがあると思います。
ほんと素敵だと思います。
子供は子供でフランシールは親の期待に応えるために従順で賢く、なんでもこなせる子に。リリアンヌは親の意向に不満を持ちつつ我がままっ子にと、人らしい描写が多々ありました。
ローザリンデ、フランシール、リリアンヌの女性陣は喜怒哀楽が表現されておりましたがアーカードはいたって通常運行だったように思えます。
幻獣戦役のギルザと共に戦っていたあの余裕。すべてが自分の手のひらの上かのようなまさに魔王にふさわしい素振りのまま家族と関わっていた気がします。
個人的には、もっと驚いた描写とかあったら面白かったのにと思いましたが、アーカードらしいと言えばらしいですね。
死神の精度
特に接点はないのですが、このシーンでふと思い出した小説になります。
主人公は死神。
死神は死に近い人の近くに現れ、その人を観察し本当に死ぬべきか最終判決を決定します。
死神は人の姿で現世に現れて判決をするのですが、ほとんどの死神は観察は行わず人の姿で現世を楽しむ中、主人公は真面目に対象者と関わったりして死ぬべきか決めていく話になります。
その中で、人の姿をしても味覚、痛覚はなく、毒物も効かない。また長期間現世にいるわけではないし。汚くもならないのでお金が支給されません。娯楽が限られてしまうといったシーンがあり、そのシーンを思い出してしまいました。
多くの死神はCDショップの視聴コーナーで長時間音楽を聴いているそうです。
ここで一つの名言が生まれました
「天使は図書館に集まり、死神はCDショップに集まる」
この小説を読んだのは10年以上も前になりますがこの名言は覚えています。
著者の伊坂幸太郎先生の作品は昔かなり読みました。
個人的な作品の特徴として、現実的の中にある非現実的。
現実的な話題を多く取り上げておりとてもイメージしやすいのですが、そこに自然と入り込んでくる非現実性が物語を加速させたり、面白さを引き上げてくれると思います。
ゴールデンスランバーや魔王といった映画やドラマ化された作品もあります。
本題からズレてしまいましたが、クリプトやっててふと思ったこととなります。
今回は以上となります。
ありがとうございました。
ローザリンデさんは超召喚祭かな。